自分の中の軸を求めて
中国に来てしばらく、僕はどうしても「人」とうまく向き合えませんでした。 言語や文化の違いももちろんあります。 けれど、一番の原因は―自分の中に「軸」がなかったこと。
判断や指示は出せる。理屈もわかっている。 でも、そこに“軸”がないから、毎日が即興劇のようで、場当たり的な対応ばかりしている自分がいました。
そんなときに出会ったのが、老子の『道徳経』でした。 「上善は水の若し」―リーダーは水のようであれ、という言葉が不思議と胸に残りました。 押すのではなく、引くことで流れを作る。 無理にコントロールせず、あるがままを受け入れる。 今の自分に一番必要だった視点でした。
「古典」は思想ではなく、生き方そのもの
中国古典を読み進めるうちに気づきました。 これは「学問」ではなく、生き方の指南書なのだと。
孔子の『論語』にある言葉、 「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」 ―調和しつつも、安易には同調しない人こそ器が大きいという意味です。
中国の現場では、このバランス感覚こそが求められます。 周囲と衝突せずに共存する力と、必要以上に流されない芯の強さ。 正論よりも、場を整える人間力が問われるのです。
「干支暦」と出会い、軸が立体になった
もう一つ大きかったのは「干支暦」との出会いです。 中国では今も春節(旧暦の正月)を中心に季節行事が動き、 商談や結婚、引っ越しなど大切なタイミングを選ぶときに、 多くの人がさりげなく干支暦を意識しています。
歴史的にも、君主や政治家は相手の干支や誕生日から性格を見立て、 関係性を築く参考にしてきました。 これは占いというより、相手の傾向を知り、場の空気を読むための古代から使われてきたツールです。
この視点を持つことで、僕自身も「なぜ今ここにいるのか」「なぜこの人と働いているのか」が、偶然ではなく“流れ”として見えてくるようになりました。 タイミングを読む感覚が身につき、交渉や人材育成でも一歩先を読める優位性を得たのです。
文化を尊重する姿勢が、共通言語になる
興味深いのは、中国の人々も干支暦や古典に興味はあるものの、 実際に深く理解している人は多くありません。 ちょうど、私たちが「禅」や「仏教」を知っているようで詳しく説明できないのと似ています。
だからこそ、古典や干支暦を学び、彼らの文化を尊重する姿勢を見せると、 それだけで一目置かれる存在になれました。 会話の共通言語が増え、相手の行動の背景を理解できるので、 コミュニケーションが驚くほどスムーズになりました。
古いものが今を導くという「逆説」
ビジネスの世界では「古いもの=非効率」と切り捨てられがちです。 しかし、古典に描かれているのは時代を超えて変わらない人間の本質です。
AI、リモートワーク、グローバル競争。 変化が激しい今だからこそ、普遍的な価値観に立ち返る意味があります。 むしろ、そこに“今の混沌を切り抜けるヒント”があると感じるようになりました。
学ぶというより、“取り戻す”という感覚
古典や干支暦を学んで芽生えた感覚は、 新しい知識を得るというより、もともとあった感覚を呼び覚ますものでした。
リーダーシップは押しつけではなく「在り方」の表現。 人を動かすのは命令ではなく「共鳴」の結果。
僕はようやく、自分が「どう在りたいか」という問いに、少しずつ答えられるようになりました。
次回は、その“在り方”が実際に現場でどう影響したか、 具体的なケースとともにお伝えします。
力蔵
転職を機に一人中国へ渡り、現地企業の事業運営のサポートや現地法人の経営、中国人スタッフのマネジメントに従事し、黒字化事業へ成長させる。実践を通じた東洋古典活用法の情報発信・勉強会を開催。